
暮れです。つめの甘さを思い知る12月中旬。山場の定義が曖昧になる職場では風邪の類いのものが何周か回っていそうにも関わらず僕のところには未だに回ってこないのは単に僕が○○なわけではなくて無駄に気を張りっぱなしだからなのかなと思う丑三つ時暖かくお過ごしでしょうか。といいつつも肝心なのはコレからなので気を抜く事は命とりなのよ!とか無駄口をたたきながら仕事に没頭しようと思います。
なんというか、女性は行動を、男性は言葉を求めるって聞いたり聞かなかったりしていたんですけど、最近言葉を発する機会が格段に増えてそれ自体について考えていて、思えばつくづく複雑なものだと思うわけです。例えばこのblogでさえ傍から見れば単なる淡白な文字情報の羅列でしかないわけですがそれを書くのに無駄に時間をかける自分がいるのが現状で、自己満足だよといってしまえばこれは思考停止で済むけどそれを自分以外の対象に対して発する場合はまた別で、その言葉が疑いを生み亀裂になったり、刺さるようにして悲しみそのものを与えたり、暖かみを生んで喜びになったりいわゆる一喜一憂ひとつひとつがそれによって起こされているわけで、逆に言うとなんか振り回されてるだけなんじゃないかと思えてくる時があって。極論、言うのはわけないじゃないですか。たとえどんなに重みがある言葉だとしても結局のところそれはケント紙1枚相当の厚み程度しか実際のところないんじゃないかと受け手が考えている場合、それはそれ以上の効力を持ち得る事ができなくて、そういった時に限ってネガティブな方向の言葉を受けてしまうとその薄さ故に奥深くまで刺さってしまう。ただそれは受け手によって自由に変える事の出来るものなんじゃないかとも同時に思っていて、考えてみればほら空だって「空」と言葉にしてしまえばどんだけ広いんだっていうくらいの面積を2文字で定義することができてしまうそれくらい包容力のある表現手段だとも思うんです。その辺の転換が自分の場合うまいこと機能していないのかなと感じているわけですが、時としてそれが逆に作用してしまうリスクを孕んでいたとしても扱う価値はあるんじゃないかと考えたりしていました。どっちにしても行動を伴っていなければ意味がなくなってしまうわけですけど。
んで相変わらずの禁欲生活。時間の経過が遅いのはあいかわらずなんですがそんな中ピザハットだのCURRY CARRYだのでおもっきしデリバリーする社内の空気に誘惑と葛藤しながら(いや結局食べましたけど)過ぎて行く12月ですが今日話していた話題の中で「精神と時の部屋」説よりもしかしたら有力な「社内圧力鍋」説のフラグがたちました。って結局食べ物繋がりなんですが。でも2日分の煮込みを1時間で出来てしまうとかほんと構想がぴったりだと思うんですけど思ってるのは僕だけだと思います。あーもうやめやめ食べ物の話やめー。というかhdkさんが作ってくれた鬼ビーフカレーは創造の域とか超越したうまさ(とカロリー数)だったと思いましたごちそうさまでした。写真はアップすると確実に食べたくなるのでいまはやめです。はい。結局どんだけ食べ物の話で引っ張ってんだ自分と。
どうでもいいけど僕はWiiがちょー弱いことが発覚しました。
べべべべべべべつに気にしてませんよ!