
言葉で振り返る2006年。年始早々から自分のミスが発端になり休みにも関わらず多数の人に迷惑をかけてしまったという今日の出来事で反省すべき点は山ほどある現状です、つまるところメディアを持って情報を発信する側としての責任の重さに対する認識が薄くて甘かったということ。を、朝から悶々と考えて作業していたわけですが過ぎてしまった事に対して後悔をする暇があるのなら今出来る最大限をやるしかないわけで、これからの行動にそれらを反映させていくしか方法は残っていないんじゃないかっていうところに辿り着いた。と同時に考えていたのはもっと言葉のやりとりを増やすっていうことが必要不可欠だってこと。
圧倒的に自分の詰めが甘過ぎた。どれくらいかっていうとこれほんとに詰めてんの?っていうくらいその部分が欠落していたような甘さだったが故に失ったものも多くなってしまった。作業のスケジューリングもそうだけどもっと自分の立場に対してすべき事への一切の甘え妥協を取り払えるようになりたい。
それで去年は言葉の重さについて考えてばかりいた。それは先述の仕事にも普段の生活の中ひとつひとつをとっても言える事で、言葉の持つ不安定な重みが及ぼす影響だったりそれによって自分自身が影響を受けてしまったりと色々あるわけだけど、それはいい悪い双方向のベクトルをもっていて、たった一言、それだけでどれだけ自分が救われたか知らないくらいの温かさを持つ言葉もあれば、安易に発せられたが故に言葉としての厚みが刃物のように薄くなり、気持ちの奥深くに刺さってしまうような鋭さを持った言葉を聞く事もあった。その両極端の顔を持ち合わせているものだからこそ発生するジレンマが、言葉を発する行為自体を少しずつ難解なものに変えてしまってきていて、相手を思うが故に口にしてしまう言葉そのものでさえ時に重みを失い、薄さ故に少しでも誤ると知らず知らずのうちに聞き手を傷つけてしまっている。ただここで思っていたのは、それでも言葉を発し続けているのは伝えたい何かがあるからで、その時はたとえ薄く軽率な言葉に思われてしまったとしても、それを積み重ね積み重ねて思いの束にするしかないじゃないかと話していた。
そうやって言葉に対して思うようになったのは本当に去年の下半期になるころで、退職して今の会社に入って出会ったみなさん、実際の友人、ネットで知っていたけど初めてお会いすることができたみなさんなど、おそらく一昨年以上にまた大切な人と出会うことができたからだと考えています。人の数だけ繋がり方の形はあるけど、そのひとつひとつは本当に大切なもので、その繋がりによって今の自分が形作られ自分を自分として認識できているんじゃないかって思うようになりました。ただ、繋がりの数だけ違う自分がいるかもしれないし、無理してそれを作っている部分もあるのかもしれないけど、そうしているそれぞれの自分を一歩ひいた視点から見る事ができれば、今まで自分では気づかない部分や見落としている所を見つけられるんじゃないかとも思っていて、それによってそれぞれにいい影響を及ぼす事ができるんじゃないかと考えるようになりました。
Re:の年。再構築の2006年。相変わらずクッキーでいうのであれば材料も分量を量り終えて、これからすべき事は配合プラスアルファの要素を使ってよりよい結果を生み出すこと。そして最後の最後で確認の大切さを身にしみて感じたこと。年あけて、あけましただのわいわいやっておりますが、一層気持ち引き締めてやらせていただこうと思っている2007年standardimageをよろしくお願い致します。
エントリタイトルはmano氏のblogに酷似していますがフィクションではありませんので、黒とグレーのストライプのやつをお見かけした方はぼくまでご連絡くださると飛んで喜びます。買って1週間でなくすとかなにやってんだ自分。