01:32 - June 26, 2008
note 感覚を汎化させるもの

梅雨も深まり夏がもうそこまで来てる。長くなる日照時間と短い夜の繰り返しを行いながら過ぎ去ってゆく6月4週。日本を代表するクリエイティブプロダクション、WOWの亀田さんから4月にミラノサローネで発表されたインスタレーション「LIGHTS AND SHADOWS」のお知らせをいただいて映像に見入っていた。
「東京を構成しているひとつひとつのパーツは最新の機能を身にまといまぶしく光り輝いている。 しかし、それらを包み込む街という単位で見ると秩序のないひとつの奇妙なかたまりとなって目に飛び込んでくる。「常に変化し続ける」という東京の特徴は混沌と言う言葉で言い尽くせるのだが、その混沌はときに秩序を持ってつくられたモノよりも美しく見えるのだ。東京の夜景は他の都市にはない美しさと混沌を合わせ持っている。」
対比する要素の存在感。その狭間の形を、「光」と「影」という要素で表現したこの作品、年齢も性別も国籍でさえも違う人の間で共有される東京という場所の持つ様々なコンテキストを、不思議な包括力でまとめ上げ、暗闇の中の灯りにすっと惹き入れられるような、日ごろ見慣れているはずの種類の明かりが全く別のものにも感じられるような不思議な感覚に陥ってしまう。そこにあるのはそれぞれの受け手の中の解釈。東京という街が見る人によって様々に咀嚼され、新しい解釈が生まれてゆく中で、テーマとなる根幹のコンセプトが全体を包み込み、ひとつの作品として見る人の心の中で余韻となって昇華されていく。
キャッチーである表現は広範囲への認知とサービスプロモーション、イメージの訴求に便利なあまりインプットされる情報量が多大なものになり、人はセレクトする情報をフィルタリングしてしまう。そうして同じような表現が飽和状態にある環境に身体感覚が慣れてしまうことで失ってしまう感受作用もあるんじゃないのか。解釈の余地、送り手受け手双方間の距離を超越した表現、表層で起きている全ての視覚伝達を包括する最深部のメッセージ。
必要なのは、
とか言えるように。今。












