underground 風が強く、窓が揺れる

20090205.jpg

お久しぶりです。
気が付けば2月。なんだか先々月からずーっと12月な気がしてしまうのですが。
みなさまは息災でいられますでしょうか。豆はまきましたか?

会社のみんなは週末もほとんど出勤していて、
このまま1年中12月だったらどうしようとか、そんな不安が頭をよぎりますが、
しれっと実家に帰る気持ちの余裕を忘れずにいれたのであればもう、
それだけで疲れも悩みも消し飛んでしまえばいいのにと、願わずにはいられません。

久方ぶりに帰った茨城の空はまた泣けてくる程に突き抜けていて、
乾いてかっさかさな風でさえ春へ向けてのイントロのように感じてしまいます。
軒先に寝転ぶ凛も空も、時々帰ってくるおっさん程度にしか覚えていてくれないのかもしれないけれども、それでいて君らの瞳がまたきらきらしていて吸い込まれそうで、じゃあまたね。どうか家族をよろしくねって、お願いしながら車を出し、かじかむ手を温めながら家への道を急ぎます。

それはそうとして、2008年はしっかりと忘年できましたでしょうか?
年末から、今年にかけて、放たれた矢のように時も思いも、体験も交差しながら過ぎ行く冬でしたが、私自身はお会いした事がなかった方とお話ができ、会社には新しい仲間が加わり、社長や蘭知亜さんにはお子さんが生まれ、人の幸せであるそれらでさえ我が事のように嬉しくて、ただただこんなあたたかい気持ちになれるのであれば、1年中が冬でも乗り切れてしまうのではと、あらぬ事すら思ったりしています。

それでもまあ、日もいつか暮れるように、共にした時間にいつか別れがくるように、花もいつか朽ち果てたりこの身に宿る細胞が時と共に死にゆくように、あるものはやがて形を失いますが、僕たちはそれを悔やみ打ちひしがれる前に、その礎にたっぷりと、なみなみと水をあげれればと考えるのです。
父親の再発した病も叔母の具合も、仕事中電話越しに聞いた親友の声も涙も彼の決断も別れも、過去を思い返し悔やんいては前へは進めませんが、今起きている全ての事実から逃げず向き合って少しでも、少しでも私に出来る事はありませんか?そんな事を思いながら、マフラーを深く巻き家への道を急ぎます。冬の夜の青葉南はしんとして少し寂しげでいてそれでも住めば都な心地よさを感じてきたのだけれども、僕も実家から通ったほうがいいのかもしれない。

思い錯綜し脳裏をよぎる一つの意識を捕まえて思うのは、朽ちたとしてもなお、ただただそれが存在していた事実と、今もまだ、四重奏の中盤ですらないということ。それがいつ途絶えてしまうような不確かなものであっても僕らはまだ生きていて、仕事での失敗や病気や事故や生活の危機、危ういことばかり渦巻く2009年晩冬、修練し耐え忍び乗り越えてまた花咲かせるくらいの可能性とかそんな淡い言葉を吐けるよう、しぶとく毎日、毎日生きてます。

「楽しい事が終わってしまうのは、悲しい事や、辛い事もいつか終わらせるためだからなんだよ」とはかの有名なぼのぼのの言葉ですが、全てのことは繋がっていて、どうしようもなく因果を考えてしまう事柄や出会いも言葉も、そう考えると偶然には思えなくて、ひとつの事が終わって、またひとつの事が始まるというよりも、それらがたった1本の道なのだとしたら、この出会いや別れも、今在る状況も結果も、ひとつの偉大な川の流れのようなものなのでしょうか。

それならやっぱり嬉しいのです。君とあなたと彼と彼女に大丈夫だよとがんばろうねを、おめでとうとお疲れさまとありがとうとさよならを。自分を自分として感じさせてくれるこの何かに満たされた感情の体温のような不確かなものを、大切に紡いでいきながら、穏やかに、3月の終わりに吹く風のやさしさのようになれればと、思いながら冬の夜、書いては消し、書いては消しながらキーをたたきます。

そしてこの先またいつか、君もあなたも、誰もかれもなにもかも、また笑って思い振り返るようになれればと、願わずにはいられません。

雪は融け、燻っていた火が燃え上がる炎になって、耐え忍ぶ緑も花弁を舞わせ、暖かく降る光を浴びて軒先の猫は昼寝起きのあくびをし、僕も君もあなたも誰もかも、あたりまえのように泣くのかもしれません。
それが春っていうのなら、それが春なのでしょう

あなたが笑えば嬉しくなって、君と話すと笑い転げて、歩いては棒にあたり、歩んでは道を間違え、書いては消し、傷付けて傷付いて、気付き気付かされ、それでもまた、ひとつひとつの繋がりを繋いで、繋ぎながら前へ向かって少しずつ伸びて行く道を、ゆっくりと歩き続けていければと、そう思うのです。

it's a rare collective more than ever. we hope you will be really happiness..
脳内に流れる四重奏。外に聞こえる夜風の音が心無しか温かく感じます。
それでは引き続き、疲労と安堵とすこしの眠気が入り交じる金曜日の夜を。おやすみなさい。

underground indespair

20090203.jpg

underground ムコスタという名の(略)

20080703.jpg

そんな風に人を思ったり物事を考えたりした時間もいつかは過去の話の一部として思い返すようになるんだろうか、っていう話。パキラがもりもり伸び始めて来て緑がきもちいいけどそろそろ長袖が暑くなってきた。6月と梅雨にさよならを。

patisserie,underground その先にあるのは

080128.jpg

「大切な日に食べたケーキを覚えていますか?」

貸してもらったラーメンズ「Sweet7」を見た。
ふとした時から彼らの魅力にどっぷり浸かってしまい、ハシモト君にもタケムラ君にも半分迷惑なくらいに勧めてしまった挙げ句、今では3人揃うとネタの台詞が止まらない関係ですが、小林賢太郎氏が作/演出を手がける「K.K.Produce」第2弾の本作、見た事がありませんでした。

ケーキ以外のものなら何でも作れるパティシエと、ここ数年、ケーキをつくったことがないパティシエと、普通のケーキしかつくれない普通のパティシエが、ケーキをめぐって巻き起こす七日間の物語。

導入からやばい。しかもテーマはケーキだ。なんてことだ!と、見る前にまわりに飲み物の類いを置かないように(吹くから)遠ざけ、食べていたヨーグルトも遠ざけ(なぜなら吹くから)、準備万端で、ラーメンズ「Sweet7」を見た。

そして笑えなかった。なんてことだ!
所々にやさしい(という表現がしっくりくる気がする)笑いが上品にちりばめられていて微笑ましいというかほくそ笑みながら見ていたし、それは面白くないとかいう天秤の上には乗らないものだと思ったけど、あらゆる所にパティスリーのエッセンスが溢れていて、所作のひとつひとつが丁寧に再現されていた。なんというか本当にありそうなケーキ屋の一場面、ケーキ屋を志す見習いのありがちな心情とありがちなエピソード、何もかもが自分の中の何かと決定的にシンクロして、自分はきっと数年前の自分に戻ってしまっていたみたいだ。この前店に行ったばっかりだし。


「甘いものは人を笑顔にするんだよ」
ありがちだとか理想だとか現実はだとか本当にどうでもよくて映像の終盤にはなぜか泣いていて、泣いているのにまた笑わせようとするもんだから変に咽せてしまってた。このタイミングでこれを見る事ができて本当によかったと思う。

- -
「明日ウチの子の誕生日なんです。」
「ケーキを予約したいんですけど実はイチゴが食べれないんです」
閉店間際にやって来たとある親子。「あ、じゃあラフランスのショートを作ってみましょうか。」「明日楽しみにしててくださいね。」ってどこが悪い。もてなすってそういうことじゃないのか。人を笑顔にしたいってそういうことだったんじゃないのか。

店が無くなってしまったって、そこにあった事さえ忘れられてしまったってそんな思いを抱いた人がいればいい。人に誠実な人がいればいい。そういう人達がまたお店を作って、そんなお店でいっぱいになればいいのにと思う。そう考えて燻った気持ちをちょっとだけ整理した。

甘く儚かったのはもうあの頃の話。

underground 守る力をなくしてしまったのですが、誰か知りませんか

080120_04.jpg

いつも明け方4時30分から40分くらいに目が覚める。俺はおじいちゃんか。エアコンのタイマーが切れていて当然寒い、今日目が覚めたのは20分だった。6種類くらい悪い夢のような夢を見た。

今日雪が降るらしいのでベランダで雪だるまを作って風邪でもひいてみようと思う。って違うけど、去年はなんだかんだ言って降らなかった(というか雪を見てない)ので、電車が止まるのは嫌だけどちょっとくらいは見てみたいと無駄に光熱費を使いながら待ってます。

それで去年の今頃のエントリーを見ていたら今より1歳だけ若い鈴木健一が圧倒的に自分の詰めが甘過ぎたとかいう話をしていて、「もっと自分の立場に対してすべき事への一切の甘え妥協を取り払えるようになりたい」みたいに言っていてこれ今はどうなんだと思った。去年に比べたら相対的に出来る事は増えたんだろうけど、一歩引いてみたらそれは本当に些細な事だし。

どこかにも書いたけど、デザインは、文字のカーニングさえ知らなかった17の自分が思い描いていた程全てが高尚なものではなくて、作るべきものになによりも誠実で、責任を持たなければならないし、企画の意図や開発の事情、時には経済的内情まで知った上で全ての受け皿として、自分が想定しているものなんかより何倍もの包容力を持って形にされるべきなんじゃないかと思う時があって、そう思う自分自身が実行できているんだろうかって改めて思う。
「環境に甘えていませんか?」「本来出来る事を妥協していませんか?」そう言われて自分は頷けるんだろうか。たとえ傲慢でもいいから力が欲しい。

そういえば最近買ったマフラーのデザインが去年なくしたものに似てる事に気づいた。

underground DEAD END

080115.jpg

underground C100/M100/Y100

070318.jpg

なんで一方だけ辛い思いをしなければいけないのか不思議で仕方がないというか、理解できない3月3回目の日曜の丑三つ時。人が言葉を発する以上それには受け手がいて、コミュニケーションとしての会話が発生するわけだけど人は言葉を自由に使えるが故に、自分の意図しないところで、或は意図として言葉の受け取る対象を傷つけてしまうということが起こりうるって話。それはある程度、深い部分まで達するには避けられない事もあるのかもしれないけれど、結局のところ互いがそういう状況になってしまったとしても、それぞれが言ってしまったことを考えることを認めることで分かり合える部分っていうのは必ずあるんかと思っていたんだけど。一方にそんな意識の欠片もなかったらどうなるんだろ。言われた事の重さ、痕跡を背負いながらもう一方だけがどうして考えて思い返して考え込んで苦しむ必要があるんだ。相手にとってみればそれは過去の事、過ぎてしまった事の一つにされてしまっているのかもしれなくて、そうして何気なくなんともなしに生活をおくれているんだろうけどそれほど不条理な話はないじゃない。っていう話。自分が描いていた溜まりに溜まったマイナスの人物像とシンクロした今日このごろ。いかがお過ごしでしょうか。人は色水でできてるっていうじゃない。あんたは何色なんだろね。自分は黒だよ。黒。

underground 3/9 Remembrance

070314_02.jpg

The length of a day is felt by me at the flowing season.
A dream is drawn in every day that passes busily.
-
気がつけば5年なんてあっという間だった。っていう話。

underground Monsoonsquall

070314.jpg

矢のように過ぎ去る3月3週。3月だっていうのに一昨日とか昨日とかなんだろうあの寒さは。夜が明ける直前に一番暗くて静かな時間が訪れるように、春がきて暖かくなる直前に、一番寒くて乾いた時期がきているみたいだ。そうやって季節は巡って春もあれば雨季もあって夏になって、また秋になって同じような時期に再び冬に巡ってくるわけだけど、その季節の色の移り変わりと同じくらい人だって移り変わっていて、春になれば卒業だとかお別れだとか、始まりだとか出会いだとか、それぞれにとってそれぞれの周期のリズムがあって、それは長かれ短かれリピートするものだって思った。例えば雨季だって、それをその期間でみたら冷たいし肌寒いし、あんまりいいものじゃないと思ってたけど、花だって緑だって、例えば稲だって、雨に降られることで成長するっていう事が極めて普通な日常の中で起こっていて、そう考えると人だって山みたいなもんで、感情の起伏や波だって季節の色づきのようなもので、染まったり染められたり、雨に降られることで育つ緑と同じように、底辺にいるときだってそれは夏に向けて育っていく過程のひとつなんじゃないかって無駄に寒い赤坂の空を昼下がりに寝ぼけ眼で眺めながら考えていて、そんなときだからこそ、人間としてのいのちの根がふかくなるっていうのはみつを氏が言ってたけど、細く貧弱な茎をひょろひょろと上に延ばして高さを稼ぐ余裕があるんなら、もっとしっかりと根をはって自分の幹だったり枝だったり、葉だったり花だったりを支えて行けるようになれればと思ったりした。いつか懐かしんで振り返れればいいな、って言う話。

-
今年は結局雪を見てないって話。

underground Loophole

070227_1.jpg

朝起きたら声が出なくなっていた。ってくらいに喉が痛んでいて無駄に冷たい朝の空気を吸いながら都内にでたらこっちの空気の方がもっとひどくて2度驚いた。1月より2月のが寒いってどうなんだ。お昼を食べて夕方頃にはなんとかなってきたけどそういう時でもメールならばんばん送れてて何度「よろしくお願い申し上げます」をタイプしたことか(しかも文面ちょっと固いし)。便利といえばテキストとしての文字情報は便利かもしれないけど、それには声色のないことによる表現の安易性も同じくらい孕んでいて、それで実際意図した部分の気持ちの何パーセントを伝える事ができるんだろう、考えた事の何パーセントを失ってしまうんだろう、それによってどれだけのすれ違い思い違いが起きるんだろう。それに対して声は?自分は本来の意図した何パーセントを発せているんかな、本当に伝えたかった事はなんだったんかな。今はただ考えていたくて、忙しいだの無駄口叩く暇があるなら時間は作れるし、他の人よりか実際自分はまだ時間があるわけだから、使えるもんは使っとこう、って言う話。言葉も文字も伝えるための手段だけど、それは全てじゃなくて、思っている事も、思っていることを留めておく事も必要だってもっとしっかりしなきゃ、こどもじゃないんだから。

気がつけば明後日で2月は終わりだって話。

note,underground 毎日を笑う

070223.jpg

でも笑えない日だってある。そういう話。海にも空の色にも緑の色にも波があるように同じように人にだって波があって、やっぱり上り調子な頃もあれば落ちている時もある。落ちている時はどうしようねって考えていた時、それでもやっぱりその時間っていうのは必要なもので、そうやって落ちている自分を自分として認識することができているのであれば、いつかきっと、その分だけ高く上に行けるんじゃないかなって思う。自分落ちてるっていうのはそれでもなかなか気がつかない時も多くて、そうやって過ごして行ってしまってもそれはそれでありなんだけど、そこで自分と向き合う、じゃないけど事実として認めることで、次に繋がる糧になるんじゃないかなって思った。思った思ったって小学校の読書感想文みたいな文章だけど、思ったものは思ったんだから仕方ない。笑い続ける事ができる毎日ならそれはそれでいいとして、そうじゃない日もあっていいじゃない。っていう話。

未だに頭が痛い。こんなとこで無駄口たたいてる暇あるんならさっさと寝ろ自分。

underground relapsed

relapse
【名】 ぶり返し、再発{さいはつ}、退歩{たいほ}
【レベル】11、【発音】rilae'ps、【@】リラプス、【変化】《動》relapses | relapsing | relapsed、【分節】re・lapse

種はまだ完全にはなくなっていなくて。それの予兆みたいのは一昨日の電話でわかったんだけど、全然気づいてあげられなかったねっていう自分の部分はいいとして結局のところ自分なんてどうでもいいわけです。その要因によって思い馳せたり悲しんだりする自分を嘆く暇があるのであれば純粋な意味で他に何が出来んのかを考えた方が生産的じゃないのっていう所に辿り着いたけど結局他人である自分がなんか出来んのか?っていう部分が隣り合わせになっている事を思い出してこれってもしかしてリピートしてる?って思ったところで思考停止。

正直ね、いいんだよ別に僕が君の生活に関われなくなったとして、一緒にアホ話もカレーもカラオケも夜のスーパーも油臭い焼き肉も激しすぎる運転もできなくたって、この先友達じゃなくなったってただの知り合いになったって、そこに自分がいなくてもね、君がちゃんとそこにいて自分で息をしていてくれてそれを遠くから見ているだけだったとしても極端な話それ以上何を望めばいい?ってくらい充分なんだよ。ただ僕もそこに一緒にいることができれば言う事なしなんだけど。

underground void

070207.jpg

離れているから解ることや、手に入らないから思うこと、失ってはじめて気付くことっていうのはそんな状態に陥らないかぎり解らないことで、普段当たり前のように過ごしている中で、自分を取り巻く生活に当たり前の「ように」あったり、居たりしてくれるそれは、明日何が起こってもおかしくないくらい壊れやすく不安定でな確率のうえで成り立っているんだと思うんです。だからこそ人は無意識のうちにアーカイブとしての過去と現在を天秤にかけて喜んだり、悲しんだり思い馳せたりするんかと考えたんですが自分はそれになかなか気付かなくて、当たり前でない当たり前をはき違えて生活していたことによってそういう認識が希薄になってしまっていたんですね。だって飛行機がビルに突っ込む世の中、貝食べて人が命を落とす世の中なんですよね、当たり前に乗っている電車も進むはずの道を誤り、ガソリンで動かしてるはずの車でさえアルコールに毒されている日常なんです。だからちゃんと、毎日を自分の意志で過ごして自分が接している人を見て、そうしているその人も、関わっている自分自身ももっと知っておかなきゃと、自分の周りに居てくれる人、自分が置かれている環境、そういったものに今巡り会えていることそのものの重さをしっかりと感じ取っていきたいと思ったわけです。

-
入試シーズンとか卒業シーズンとか巷はそういう感じですがもうすぐバレンタインなのでチョコとか作る人も買う人もおもむろにチロル買っとけばオッケーなのでみんな西友とかに走るといいと思います。

underground

070205.jpg

全然関係ないけどコメントスパムが気がつけば900件とかあったひどすぎる。今日も借りた本が読めなかった。白に金の表紙が寝起きにまぶしい。隣に居てくれる人だったり、時間が過ぎることだったりで自分の状態も状況も前よりは落ち着いて安定してきてるけど、変わらない事実は事実のままで、待つしかできない自分も自分のまま。つまりは表面上の話で、いくら無駄に声が枯れるまで口論し合っても結局の所根底の部分ではなんの解決にもなっていないっていうお話。2月7日まであと2日、そっから先なんて誰にも分かんないわけで。

ある日の昼食、鳥の立田揚げよりさばの塩焼きをセレクトした僕はちょっと大人の階段登っ(略)体型変わらんのに体重減りました。いや体型変われっての。運転はもっと慎重にすることにします。茨城の夜は未だに寒過ぎます。でも今年は雪が降りませんね。月が無駄に明るいのはいいんですがその分の考える時間は必要ないと思います。とか言っとる間に月曜ですか。明日からまた自分始めます、もつ煮込みよりは長続きするとおもう。

underground

年も開けて気がつけば1月最終日。
なんでこんなふうになっちゃうんだろう。いつのまにこんなになっちゃったんだろう。無駄に氷点下の朝、運転しながら考えていて、相変わらず朝は血の巡りが悪いから無駄に感情に流されやすい部分もあるけど今日は寝起きから言葉が耳に入ってきてどうしようもなかった。すがれるものならなんにでもすがりたくて、といっても事の対象は自分ではないが故にその行為自体も無意味でしかないよねって考えていたら、完全に感情のコントロールがきかなくなっていた。考えてみれば命に対する感覚が希薄になってる現状、事が起こっても実際の所なんてことない自分です。なんて事をさらっと言って退けるほどの余力はなく、ありえないだの不公平だの、中身のない言葉が頭の中であちこちに刺さって、無駄に体内の水分を硝子体の隙間から排出していた時に考えていたのはやっぱ不公平だろと。元旦早々から願い続けてきたことなのになに?ぜんっぜん届いてないの?聞く耳もないの?理不尽すぎる。まあいつものことだから適当に思考停止させて過ごしていればお昼頃には忘れてるよねって考えが頭をよぎった途端そんな安易な自分もどうしようもなく気持ち悪くなって運転中に泣き叫ぶおかしな人間になっていた。それを嘆く暇があるなら行動すればいい話だけど、事には手遅れっていう状態が発生しうるわけで、身動きできないこの現状にただ嘆き続けるっていう単純な行動をするばかりだった今日の朝。最悪だ。にもかかわらずそういう状況を文字情報にしている自分も同じくらい最悪なのは薄々気づいてはいるんだけど。ていうかもう嫌なんだよ。なにもかも消費されていくのを見ていなきゃならないなんて。
-
でも悪い事ばかりじゃなくてきっとそれと同じ位いい事もあるわけで、そのへんでバランスできたらと思うんよ。

underground 断片

070124.jpg

飛ぶ記憶、初めての場所、割れる灰皿、2つのパスタ、歩行者天国、うたたね、相対的に早くなる時間、おつまみのいか、おさつチップス、チーズポップコーン、辛すぎた小エビカクテルサラダ、めくりめくタバスコ、アラビアータ、腫れた唇、飲み干しても減らないグラスの水、コーヒー牛乳、小田和正、塩水のようなもの、キャンドルの火、距離、寒過ぎる朝、増えた乗越しの回数、眠すぎる運転時間、黒い服、腫瘍、飛ぶ記憶

note,underground マフラーをなくしてしまったのですが、誰か知りませんか

070105.jpg

言葉で振り返る2006年。年始早々から自分のミスが発端になり休みにも関わらず多数の人に迷惑をかけてしまったという今日の出来事で反省すべき点は山ほどある現状です、つまるところメディアを持って情報を発信する側としての責任の重さに対する認識が薄くて甘かったということ。を、朝から悶々と考えて作業していたわけですが過ぎてしまった事に対して後悔をする暇があるのなら今出来る最大限をやるしかないわけで、これからの行動にそれらを反映させていくしか方法は残っていないんじゃないかっていうところに辿り着いた。と同時に考えていたのはもっと言葉のやりとりを増やすっていうことが必要不可欠だってこと。
圧倒的に自分の詰めが甘過ぎた。どれくらいかっていうとこれほんとに詰めてんの?っていうくらいその部分が欠落していたような甘さだったが故に失ったものも多くなってしまった。作業のスケジューリングもそうだけどもっと自分の立場に対してすべき事への一切の甘え妥協を取り払えるようになりたい。

それで去年は言葉の重さについて考えてばかりいた。それは先述の仕事にも普段の生活の中ひとつひとつをとっても言える事で、言葉の持つ不安定な重みが及ぼす影響だったりそれによって自分自身が影響を受けてしまったりと色々あるわけだけど、それはいい悪い双方向のベクトルをもっていて、たった一言、それだけでどれだけ自分が救われたか知らないくらいの温かさを持つ言葉もあれば、安易に発せられたが故に言葉としての厚みが刃物のように薄くなり、気持ちの奥深くに刺さってしまうような鋭さを持った言葉を聞く事もあった。その両極端の顔を持ち合わせているものだからこそ発生するジレンマが、言葉を発する行為自体を少しずつ難解なものに変えてしまってきていて、相手を思うが故に口にしてしまう言葉そのものでさえ時に重みを失い、薄さ故に少しでも誤ると知らず知らずのうちに聞き手を傷つけてしまっている。ただここで思っていたのは、それでも言葉を発し続けているのは伝えたい何かがあるからで、その時はたとえ薄く軽率な言葉に思われてしまったとしても、それを積み重ね積み重ねて思いの束にするしかないじゃないかと話していた。

そうやって言葉に対して思うようになったのは本当に去年の下半期になるころで、退職して今の会社に入って出会ったみなさん、実際の友人、ネットで知っていたけど初めてお会いすることができたみなさんなど、おそらく一昨年以上にまた大切な人と出会うことができたからだと考えています。人の数だけ繋がり方の形はあるけど、そのひとつひとつは本当に大切なもので、その繋がりによって今の自分が形作られ自分を自分として認識できているんじゃないかって思うようになりました。ただ、繋がりの数だけ違う自分がいるかもしれないし、無理してそれを作っている部分もあるのかもしれないけど、そうしているそれぞれの自分を一歩ひいた視点から見る事ができれば、今まで自分では気づかない部分や見落としている所を見つけられるんじゃないかとも思っていて、それによってそれぞれにいい影響を及ぼす事ができるんじゃないかと考えるようになりました。

Re:の年。再構築の2006年。相変わらずクッキーでいうのであれば材料も分量を量り終えて、これからすべき事は配合プラスアルファの要素を使ってよりよい結果を生み出すこと。そして最後の最後で確認の大切さを身にしみて感じたこと。年あけて、あけましただのわいわいやっておりますが、一層気持ち引き締めてやらせていただこうと思っている2007年standardimageをよろしくお願い致します。

エントリタイトルはmano氏のblogに酷似していますがフィクションではありませんので、黒とグレーのストライプのやつをお見かけした方はぼくまでご連絡くださると飛んで喜びます。買って1週間でなくすとかなにやってんだ自分。

underground rarefied life

061127.jpg

そういえば晩夏の日帰り忙殺の横浜京都東京の旅2006の事を今だに書いていなかったからもう少ししたら書こうと思う。で、京都から帰ってきてn氏と会って話した時に言っていた「ものを生み出す人って命に対する感情が希薄になってると思う」というのをここずっと考えていた。いま仕事としているものはつまるところ依頼主への問題解決のソリューションとしての表現方法の可視化であってそれ以上でも以下でもないその成果物は、最終的な落としどころとしては作り出した自分の手を離れて行ってしまうわけで、次々とこなし(と言ったら言葉は悪いけど)ていく忙しさにかまけているうちにひとつひとつのものに込めた念や思いそのものを忘れて行ってしまうんじゃないかと思ったら急に怖くなって。創造者だなんて場違いな呼び名をつけられたcreatorだけど、その創造したものひとつひとつになんの感情も抱けなくなってしまったらどうなってしまうんだろうとぼんやり考えていた。作ったものを作ったものとして接する事が出来なくなったとしたら。でも結果としてはどうにもならないんじゃないかな。なんにも変わらなく毎日過ぎ去って行ってしまうだけで。

だからね命だってそうなんだよ全然実感ないんだよ。というか実際もう頭の中は完全に取り乱しまくっていてそれどころじゃなかったから脳が勝手に思考凍結させたのかもしれないけど、ネットとかわけのわからない仮想のネットワーク上に身を置いているからだよとか例えばそんな、空想と現実の混同された中で、その命っていうものに対しての感情も希薄になってきちゃってるんじゃないかと思ったんだ。ってこんな事言ってる自分は本当は無駄にCPUだのメモリだの積まされて動いてるだけなんじゃないかと思うくらい怖くて無機質な生き物なのかもしれないしそれを知った所で結局客観視する事しかできない傍観者なのかもしれないけどなんだろう、でもなんだろう声を聞いた途端に思い出したかのようにフッと実感が湧き出てきてどうしようもなく気がついた時には涙が止まらなかった。でもね嬉しかったんだ。君とまた話せたことが本当に嬉しかったんだ。こんなんネットとかわけのわからない仮想のネットワーク上に書き連ねても薄っぺら過ぎて何の説得力も持たないかもしれないけど、君がそうしてくれたように同じようにそうしようと思った。だから単なる文字としての情報でもいいんだ。書いてほしい。その気持ちを書いてほしかったんだ。その出来事をいつになっても僕が忘れないように。何年か先になって笑って振り返れるように。

underground 2006年11月24日

061126.jpg

display:none.

もう自分の大切な人がかなしいおもいをしているのを見るのはいやです。と、それもそれ自体が凝り固まったエゴだと思ったら吐気が止まらなかった。ごめんなさい。そしてほんとうにありがとう。
ごめんなさいとかありがとうとか、あれはすきでこれはいやとか、言ってしまったらそれで思考凍結させてしまってそんなの言わなくてもわかることだから、説明的すぎる必要はないけれど最低限自分の文脈の中での理由を問いかけてから言葉を発した方が懸命なのかもしれない。綺麗な事だけ言葉だけ考えているのは難しくなってきているけどそれは別に悪い事ばかりじゃないからまた明日から自分はじめます。冷やし中華よりは長持ちすると思う。

underground 心拍数

好きなのに、なれない。

トラックパッドの上に手のひらを置いたらポインターが脈をうち始めました。
能動的になっていたはずのそれはいつの間にか受動的にすり替えられていた11月初週の初秋。また休日が終わりました。時間が早いのか遅いのか分からん感じですがそれが年末へのプロローグなのかと思います。

underground 僕にとってそれは

061015.jpg

だから愛おしくて仕方がないんだよ。あれもこれも、なにもかも。

underground 空色

061010_02.jpg

巷では3連休。僕もそのはずなのに気がついたら15時まで寝ていた。昨日だってそうだ。昨日はもっとひどくて起きたら既に18時だった。最近何かしていても気がつくと寝ているなんなんだろうと。運転中だってそうだ。ってこれは危険すぎると最近忠告をうけた。さすがに仕事中は寝ないけど電車だって降りる駅の2駅くらいからでも寝れるというより寝てしまうというほうが正しい。しかも入り方が急激で深すぎるのはなんでだと。寝れないっていう彼の分まで僕が寝ていてもしょうがないじゃないか。

2006年10月5日-6日

親友から久しぶりにかかってきた電話は良くない知らせだった。なんだかいまいち実感がわかなくって次の日朝に前の前の仕事場へ行って彼がよく食べていたケーキを買って病室に行ったけどしばらくは寝ている彼を見ている事しか出来なかった。気がついてくれて面会時間ぎりぎりまで色々馬鹿話を半ば一方的に話してその場を後にして、駅まで車で向かったけどなんでこんなに何も感じないんだろう。そしてさっきからこの台風みたいな雨はなんなんだ。フロントガラスに吹き付ける狂ったような風と雨がうっとうしい。雨も曇り空も好きなはずなんだけどなんか変だ。何がどうなってこうなっているのか分からない。事の経緯は知っているはずなのに全然納得できない。わかってない。なんで彼が。なんで。こんなの不公平すぎる。不公平だ。

4時間遅れで会社に着く。普通なら事前にいれるはずの連絡もしていなかった。ありえない、なにやってんだ自分。そこでまた彼と同じ状態になっていた方の悲報を聞いて頭の中はもう取り乱しまくっていた。負の要因が繋がりすぎているのは自分の考え方次第でどうにでもなる事だと思っていたけどこんなにもコントロールできない状態は始めてだ。なんとかしなくちゃ。なんとかする?そんなのできるわけない。僕は彼じゃないわけで置かれてる環境が違いすぎて、分かってあげたいなんてのはただのエゴにすぎない。自分にできることがなにもない。そんな自分が情けない・・ってそんなのもただの自己満足にすぎなくて、そういう状況に置かれている自分を美化しているにすぎないじゃないか。汚すぎるありえない。いやまて、汚いとか醜いとかそんなのどうでもいい。今の自分に何も出来なくても待つ事はできる。それがどれだけ先になったとしても待つしかないじゃないか。お互い出会って10年。彼が居なかったら今の自分は居なかったじゃないか。こんな人もうこの先出会わないんじゃないかってくらい自分にとって大きな存在になっていた。だから絶対に失いたくない。会いたけりゃ会いに行ってまた一方的に馬鹿話をしながら過ぎて行く毎日を見送りながら、少しずつでも前に進んで行くのを見ながら待つしかないじゃないか。だからまた会いに行きます。ありがとう。

underground 場が呼び起こすイメージ

なんというか、blogを再開したはいいものの、こうなると書く事をどっちに書こうか迷って小1時間とか過ぎてる事に気づく。こういうときmixiってなんかよくわからない。
どうでもいいけど、また旅に出たい衝動がきた。もう行ってしまおうか。過去を思い出してもなんにもならないけど、今非常に写真が撮りたい。渋谷でも茨城でもなくて。webをやってると無意識のうちにそのサイトを空間としてというか、ひとつの場として認識している事があって、そういう奥行きをうまく視覚化できると絶妙にハマったりするんだけどそういうことが全然なくて、そうこう考えているうちに自分の中での場の定義を考えている時にいつも呼び起こされる場所のイメージがある。ひとつは仕事帰りでも寄れる場所。もうひとつは1日休みが必要で、もうひとつは2日必要。だから3連休欲しい。やっぱ無理かなー・・
なぜか頭の前と後頭部が痛くてぼんやりしてる。それで考えてくると分からなくなってくる。自己嫌悪もほどほどに本を読もう。そして週末は写真を撮ろう。最後だし。

underground 3/9

想い思い起こす3月9日。
おもむろにトイレに座ったら開いているはずのフタがしまっていてヒトリおうぅっ!?とか言っているおひるどき。みなさんいかがお過ごしでしたでしょうかすずきです。

-
3/9といえばレミオロメンですかそうですか。
いまの時期になると思い出す人がいます。彼が居なかったら僕はこの仕事を今してなかったんじゃないかと思えるほど生きていて想像以上の転機を与えてくれた人です。今となっては連絡も途絶えてしまってサイトすらなくなってしまっていますが花と空と毎日の生活をおもむろに切り取った、いつも穏やかな空気が流れている彼の写真がとても好きでした。
つまるところ人との関わりなしに成長する事なんでできないんじゃないかとかそんなお尻真っ青な意見を述べてみていますが別にいいと思います。はい。ええとまた色々お話したいですそれで改めてありがとうございますを言いたいですよ。もしよかったら連絡ください。
-

トイレはほかにひとが居なかったからいいとします。
明日カレー曜日だからなんでもありです。
毎日が金曜日とかそんなんでもありです。
ゴールデンパラダイスですよ奥さん!(つまりは意味不明)

underground 必要なのは

060302.jpg
-
年末から続いていたプロジェクトがようやく終わりに近づいてきています。本日入稿のあったコンテンツが終われば僕の作業としてはほぼ終わりなのではないでしょうか。そういえば年があけて年始のお休みがあけてからの記憶がほとんどありませんがそんなことはさらっとスルーして次につなげていきたいと思っています。
そうやって自分の気持ちだったり環境だったりを新しい回路へとスイッチしていくなかで、今日(昨日か)かつてない(気持ちの上での)ターニングポイントのようなものに差し掛かった気がします。

blogでネガチブなことを書くのは控えているのですがあえていうとぼくは今の仕事にどこか負い目というか後ろめたさというんでしょうかそういったものをどこかで抱えていてそれを再構築する意味で年明けに抱負的なものを書いたのですが、今ひとつ書いた自分自身に違和感を覚えていたんです。それは周りに流されてしまうということなんですが、どうしても他人ほかの方と自分を比べてしまう癖があるのか自分の言ってることが本当に自分の考えなのかわからないというか、そういった心境のまま年が明けてもう3月とかになってしまったわけです。去年から今年にかけてきっと自分の人生がガラッと変わってしまうんじゃないかと思えるくらい素敵な方と出会うことができました(まだ実際思い切って声をかけられない方もいるのですが)そこでもどうしても自分の過去と比べてしまい焦燥感が募ってしまっていたのです。
彼が今までに培ってきた絶対量が圧倒的に違うこととかそういうことはわかっているんです。それでもそれって過去の話だからって頭で理解しているつもりでも深いところではひっかかりが残ってて。。

ですが昨日秋田道夫氏がWhiteboardで描かれていた文章を読んで気持ちの整理がつきました。正直言って涙がこみあげてきました。
おそらく同年代の中で最高のWebデザイナーであるその彼と同じ時代を生きてかつ同じ業種について仕事ができているこの事実ってとても素敵なことだっていうこと。(秋田氏と文章が被ってしまい申し訳ないですが)そしてそれを誇りに思おうということ。

ただ臆病なだけと言われればそうかもしれませんが今年は本当の意味で再構築の年にしたいと思うのです。

ありがとうございました。

underground 年が明けておもうこと

20050109.jpg
これは忘れもしない去年の富士を9合目で断念して下山してる時に見た日の出ですが。
遅くなりましたが自分の中での年明けホウフ的な事を少し。

去年は思った以上に自分の要領の悪さに足をグイグイ引っ張られてしまいました。身近な例えとしてクッキーで言うと生地の材料を量ったところで年が明けてしまったので、今年はその材料を"要領良く"使い生地を作っていこうと思っています。 つまりは出来上がった生地を伸ばして成形して焼成するまでの行程を見据えながら、この1年を意味のあるものにしようと思っています。 生地を混ぜ合わせる行程って結構重要なんです。混ぜすぎると焼成した時にお煎餅のようになってしまいますし、その逆ではあちこちにムラの目立つものになってしまいます。だから慎重に、ひたすら前向きに。

お仕事はそうですね。デザインの仕事をする事にしました。とか言ってまだ何にも決まってないんですけど。webに限らず様々な分野での表現法に関わってみたいと思っています。写真もきっと。

写真はと言えば今年は何人かの方々と何かカタチになるものをやってみたいです。幸いな事に僕の周りにはステキな写真を撮られる方がたくさんいらっしゃるので、勇気を出して声をかけてみようかと。

ここまで答えを出すのに2年近くかかってしまいました。それでも結局これを選んだのは好きだからですとまぁ相変わらず頭の悪い言い訳になってそれじゃ全然成長してないよと、そう言われそうですが今現在の答えとしてはそれしかないのでそれを大切にしてみようと思います。

underground 朧月夜

朧げな月が浮かぶ夜に思うこと。

仕事帰りの信号待ちで思うこと。

寒さで起きた夜に思うこと。

昨日見た夢だって、夢に出たあの子だって、
それはきっと朧げな月の浮かぶ夜のよーな、
そんな曖昧な時間の中にあるよぅなもので。
今となっては隠れて消えてしまった月は、
夢から覚めてしまったあの日のようで、
雲間を見つけては、月を探していたそうで。
ただソレは夢を見続けていたいわけではなく、
月をね、ただ見つけたいだけなんだそうなんだと。
そういうことなんだって思って。
信号待ち。今夜もまた空を見上げるてるわけで。

仕事帰りの信号待ちで思うこと。

朧げな月が浮かぶ夜。

underground 虹のかけらと流れる雲

20040930.jpg
朝一で虹を見ました。
虹って言っていいのか分からないくらいの、一部分だけど、そこだけが切り取られて残ってしまったようなそんな、ぽっかりと雲と一緒に浮かんでた虹でした。

事故して1週間。あれからなんとかやってきたけど、その間にも色々な実感がなくって、それでも時間は待ってはくれずに同じリズムで時間が過ぎて、あれからもう1週間です過去の話となってしまいました。色々とわけの分からぬ事ばかり考えて、頭に浮かんでは消え、消えては別の事が浮かびと、ほわほわと漂いながら流れて来た感がありますが、少し分かった事があります。

それは自分が今ココに今でも生きてるってことだったり別にあの時この世からさよならしてしまったとしてもそれは雲の流れには何の影響も与えないことだったりその後もなんの事は無く時間は過ぎて行くっていうことだったり。自分なんてその流れの1部分に過ぎない事だったり。

突っ込む所が少しずれて電柱やら太い木やらにつっこんだり、ハンドル切る方向を間違えて隣にあったお店の店先に突っ込んだり、突っ込むのが遅くって突っ込んだ直後に通りかかった対向車と全力で正面衝突だったり、なにか一つでも間違ってたらココに残っていなかったかもしれないこの自分、だったらそんな確率の中今ココに今でもいる意味のほうを考えた方が生産的じゃないかと。焦燥感に駆られ周りが見えていなかったり前しか見てなかったりの毎日で、もっとゆっくり物事を考えればいいじゃないと誰かが教えてくれたんだと思います。ようは、余裕を持てってことです。腰が痛いってことです。


About

鈴木健一 | suzuki kenichi
FICC所属、デザイン、アートディレクション担当。
写真と音と料理とラーメンズ好きな低血圧男子。
standardimage
www.standardimage.jp
A member of FICC inc.
www.ficc.jp
A member of URAWABOYZ
www.urawaboyz.com
A member of YOKUYAKI All stars
www.standardimage.jp/yokuyaki/
Introduction
words

Recent comments

Categories